平成7年フジテレビ
「おはようナイスディ」でデビュー
>>俳優
 


 



●平成7年10月からフジテレビワイドショー番組「おはようナイスディ」でフィールドキャスターとしてデビュー。
 向坂樹興(さきさか・たつおき)、吉崎典子、両アナウンサーとのトリオ司会だった。
 もともと人と出会って話をするのが好きで、教師を選んだのもそれが理由だった。また、以前からジャーナリストの仕事にも興味があり、阪神大震災のときにも自分の目で確かめたくて 現地に出かけて記録をカセットテープに吹き込んだりしたこともあった。「この仕事は多くの人と出会い、影響を受けて視野を広げられるいいチャンス。アメリカでの勉強は現場を経験してからでも遅くない」と思い、出演することを承諾した。






 

●フィールドキャスターとは、スタジオに固定されず、そのときに興味のあることを取材して、自分なりの考えを入れながら伝える仕事。
 番組内では「光太郎レポート」のコーナーを担当したほか、毎回ゲストを迎えて色々なお話を聞く人気コーナー「Shall we talk?」も担当した。
 出演するにあたって「現場の臨場感を大事にしながら僕が感じたことをわかりやすく伝えたい」「できれば、若者の動向のような人の心が関係するものをテーマにし、放送することにもとらわれず納得いく取材がしたい」と語っていた。
 

  

●テレビの初出演はとても緊張していたという。番組終了間際に学生時代に親しくさせていただいた秋篠宮さまから励ましのお言葉をいただき、ホッと顔が歪んだ途端ドッと疲れが出てきたという。





●初出演の日にはもうひとつ嬉しいことが。本人の自宅に記録紙がなくなるほど大量にファックスが届いた。「表情が堅いぞ。もっと柔らかくしなくちゃだめだ」「教室の柴ちんとは違うじゃん」「あの化粧はなんとかしろよ」など生徒たちからのものだった。
「大きなお世話ですよ・・・。でも嬉しかった。」(柴)



 


 
●出演中は、毎日5時に起床。放送後に取材があると睡眠時間3時間という日も多かった。積極的に現場へ出てレポートしていたので、収録後すぐに事件現場へ出動することもあった。
 いきなりワシントンや沖縄にも取材のため飛ばされ、一週間のうちに5~6回飛行機に乗ったこともあった。 

 
 


 



●ホワイトハウスの定例記者会見に参加し、沖縄問題について報道官と英語で渡り合ったり、いじめ問題、北海道のトンネル崩落事件などでも現場にかけつけ取材したこともあった。 

 






●ホワイトハウスの会場には50の席があり、それぞれ誰が座るのかが決まっていた。本人にはもちろん席がないわけで、後ろの方に立っていた。挙手により発言するやるかたで、ほとんど見えるか見えないかの位置に立っていた本人は何度も何度も手を挙げていた。そうこうしていると席からひとり立ち上がり帰っていった。
 当然その席は空くわけである。どうしようと迷っていたがそこに座ることになった。テレビの取材ということもあり挙手はした方がいい。しかし、当てられたらどうしよう。そんな迷いがあったのは確か。それでも挙手はしなくてはと小さく挙げていたが、そんなのはダメだとスタッフから合図がきて仕方なく大きく手を挙げると見事にあたってしまった。こうなったらやるしかない。
 判事に「この件については考えているか?」という質問をしその答えを聞くのだが、画面上は理解してうなずいてる様に見えたかも知れないが、実のところは頭の中が真っ白だった。



 

 
 



●番組が始まってからも「慣れはダメ」と自分を戒め、先輩のアドバイスを反省ノートに毎日書き留めた。
 




●最初視聴者から「表情が硬い、化粧が濃い」などの批判もあったが、「体をこわさないように。そのうち慣れるから」と最後に必ず付け加えてくれていたのは嬉しかった。
 その後、「主婦のアイドルに」・・・。
 


 
●ワイドショー番組について、父親が亡くなったとき、ワイドショー番組が大騒ぎして隠し撮りされたこともあり悪い思い出もある。
(リポーターになってからも、教育問題には熱が入るという)

 







●本人はこれまでワイドショーというものは見たことがなかった。
過去の記事>>
 幼少時代 小学校時代 中学校時代 高校時代
 大学時代 大学院時代 教師時代  フランス留学
 キャスター  俳優  オシャレ  その他

 Q&A>>
    以前のサイトへ

 プロフィールに戻る