教師時代
「教師は聖職ではない、サービス業だ!」
>>フランス留学
 


●教師生活は体当たりの毎日だった。

●そんな中で本人なりの教師としての柱
 ・試験のための詰め込み式授業はやめる。
 ・うまくなくても一生懸命教える。
 ・親身に生徒の話を聞く。 
 という3つをあげた。

●本人の授業は50分の授業中、教科書を使うのは前半の30分。
 残りの20分は  生徒の悩みをここに聞いたりする。
 あるときはプロレスのビデオを見せて討論させたり・・・。
 他の先生とは全く歩調の違う授業。


●当時「マルコムX」が流行っていて、生徒たちは関連グッズを身につけているがマルコムXが一体誰なのかよく知らない。
 そこで本人は黒人奴隷の歴史の網羅したプリントを作って興味を持たせ、マルコムXの演説を日本語訳の教材にしてみたりした。

●あとは、現在の社会問題を話し合ったり、机を端に寄せてゲームをしたり・・・と型破りながらも授業もして、生徒からは評判があった。

●生徒たちからは、「柴ちん」と呼ばれていたというか、呼ばせていた。そもそも母校なので他の先生が柴田さんを「柴ちん」と高校時代のあだなで呼んでいて不自然ではなかった。また、柴田さん も「先生」という権力的な言葉は嫌だったそうである。生徒と教師という関係を超えた何かを作ろうとした結果、そのように呼び名は落ち着いたようだ。
 そんな柴ちんに恋愛の相談などをしてくる生徒も増え、次第に生徒が集まるようになっていった。

 

●校内のどの先生よりも生徒たちの秘密や退学になるようなこと(イジメ、盗難事件)も知っていた柴田さんは「柴田先生、これ何か知っているか?」とほかの先生からたびたび尋問を受けた。

●そのうち職員室に居場所がなくなり、保健室に入り浸るようになった。生徒の「保健室登校」が昨今、問題になっているが教諭で「保健室 登校」をしていたのは、おそらく柴田さんくらいであろう。(と本人は笑う)保健室には休み時間になると生徒たちがわんさか集まる。 昼休みなどはみんなでお茶を飲んだり騒いだり、時間が許す限り話をする。

●「生徒たちの秘密を引き受けたら、学校側と対立してでも自分を信頼してくれた生徒を守る」本人のそういう部分が折り合わなく3年後の平成6年、教師を辞めた。もともとは「大学教授に必要な職歴」という腰掛の動機であったが、やっているうちにすっかりのめり込んでしまった3年間だった。

●教師をして感じたのは「自分は本当に子供が好きなんだなぁ」ということ。思い入れが深かった分、学校を去るときには寂しく思った。 最初に俳優を志し断念してから大学卒業後の教職についた時代も含めての10年間は、自分を作っていく上で必要な過程だったと 思っているそう。

 
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